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謎の小説家・未来狂冗談(ミラクルジョウダン)が、思い付くままに物語を綴(つづ)ります。
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思い付くまま忍者物語・第一章(二)(忍者の芽生え/呪術から剣術・忍術へ)

元々衣装や装飾は、身分を現す為の言わば「分別標識」である。
童話ではないが、王子と乞食が衣装や装飾を取り替えれば、だれも乞食が「本物の王子だ」とは気が付かない。
わが国でも「馬子にも衣装」と言う諺(ことわざ)がある。
裏返すと、元々大差がないものをそれらしく見せる為に衣装や装飾は存在し、時代に拠っては身分の違うものに、その衣装や装飾の使用は制限されていた。
視点を変えて見ると、一つの可能性が浮かび上がって来た。
「修験密教」と言う独特の信仰・・・・・それは、列島の新支配者達の権力闘争と占領政策だった。
我が国に限らず、いくら建前の奇麗事を言っても、国家の本音には「諜報工作機関」は欠かせない矛盾として存在する。
これが多くの場合、信仰を利用する所に権力者のずうずうしさを感じる。
近世(千五百五十年~千六百年)に於ける日本の歴史でも、ポルトガル王の要請により、東洋各地に進出して来たイエズス会によるキリスト教(カトリック教会)の布教活動に、時代背景を考えると、当然植民地化を目的とする側面が疑える。
この宣教活動に拠る「民衆の精神的取り込み」と言う側面では、二千年前の「陰陽道師の布教活動」と、さして目的に違いが無かったのではないのか?
修験道の祖「役小角(えんのおづぬ)」の家系は、大豪族臣王・葛城氏の枝であり下級貴族賀茂氏であるが、この葛城氏本家が突然歴史から消える謎があり、次に名が歴史に表れた時は帝(天皇)の皇子の賜り名としての「葛城王」や、天智天皇の皇太子時代・中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の別名に葛城皇子(かつらぎのみこ)などがある。
つまり「葛城」は、皇統の格別重要な名跡として扱われているのだ。
この事の意味するものは何だろう?
葛城氏が消えた理由が、「謀反の挙句討伐された」などの悪い事で有れば、そんな不名誉な名を、後の皇子の別命や臣籍降下に対する「賜姓」に使う訳が無い。
葛城を冠する山だけでも、大和葛城山、和泉葛城山、伊豆葛城山など、未だに全国に存在する。
これとて、本当に「葛城の名」抹殺を意図したものなら山の名称など容易(たやす)く変行出来る筈で、何故かそれは為されていない。
しかし葛城氏本家は、忽然と歴史書から消えているのである。
あくまでも古事記や日本書紀を「信じる」としたらの注釈つきだが、古事記や日本書紀に拠ると、葛城氏(かつらぎし、かずらぎし/賀茂族)は、大和葛城の地(奈良県)に本拠を置いていた「古代豪族」と言う事に成っている。
しかし、葛城氏(かつらぎし)の本拠地が「大和葛城である」と言う説には符合しない多くの興味深い事実が、伊豆半島(伊豆国/静岡県)の「伊豆葛城」や「賀茂郡」に存在する。
第一章(忍者の芽生え/呪術から剣術・忍術へ)(三)へ続く

作者の公式HP(こうしきホームページ)へは、「 未来狂冗談の部屋 」で検索して下さい。

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