思い付くまま忍者物語・第二章(五)(陰陽寮/呪術と剣術・忍術の分離)
聖徳太子にまつわる伝承として、「聖徳太子が情報収集に使った」とされる三人の人物とその配下の事が残っているので紹介する。
実は大和朝廷の正規軍と陰陽修験の諜報工作組織は歴史の中で交錯しながら互いに影響し合っているからである。
聖徳太子の大伴細人(おおとものさひと)に対する要請で「大伴氏から発生した」とされる甲賀郷士忍術者群、同じく秦氏への太子の要請によるとされる河勝(秦河勝/香具師・神農行商の祖)と伊賀の国人、秦氏流・服部氏族(はとりべ・はっとりしぞく・伊賀流忍術の祖)の三団体の事である。
忍術者の祖と言われる服部氏と香具師(かうぐし、こうぐし、やし)の祖とされる川勝氏は、元々は機織(はたお)りの大豪族・秦氏の流れ秦河勝(はたのかわかつ)の後裔である。
日本列島に織機(おりき)と織物(おりもの)の技術を持ち込んだのが秦氏(はたし)だったので、「機織(はたお)り」と言う言い方が定着した。
この機織(はたお)り部から「はとりべ」となり「はっとりし」と成った服部氏は、後世余りにも有名な伊賀郷の忍術者の家系として江戸幕府・徳川家に雇われている。
また、「伊賀・服部流と双璧を為す」と評価されるのが「大伴氏から発生した」とされる甲賀郷士忍術者群である。
川勝氏の香具師(かうぐし、こうぐし、やし)は歴史的に矢師・野士・弥四・薬師(神農/しんのう)・八師とも書き薬の行商と言われ、また的屋(てきや)とも言い祭りを盛り上げる伝統をもった露店商であり、人々が多数集まる盛り場において、技法、口上で品物を売る。
その名の通り香具師は、祭礼や祈りの為の神具を扱っていた。
香具師の起源については、古代に遡(さかのぼ)る伝承をもっているが、明確ではなく、一説には秦氏の川勝氏が同じく秦氏の服部氏と共に聖徳太子の「諜報活動に任じていた」との記述があり、川勝氏が「香具師(かうぐし)の祖」とされている所から、「行商に身をやつして諜報活動をしていた」と考えると、祭りに付き物の「見世物小屋」の出演者も「いかにも」と言う事に成る。
つまり全国各地を移動しても怪しまれない職業が、「香具師(かうぐし)であり、旅芸人」と言う事になる。
この香具師の取り扱うものに、祭りの面(おもて)がある。
例の誓約(うけい)神話に拠る夫婦(めおと)二神、天狗(猿田彦)とオカメ(天宇受売)の面(おもて)であるが、この面(おもて)が祭りの場に商われていたとなると、その需要は「暗闇乱交祭りに供された名残」と捉える事もできるのである。
つまり全国各地を移動しても怪しまれない職業が、「香具師(かうぐし)であり、旅芸人」と言う事になる。
どうやらその最初の成り立ちとして、賀茂氏・役小角(えんのおずぬ)流れの陰陽修験は村落部、秦氏の流れ服部氏と川勝氏は町場の氏族相手と守備範囲の役割を分けて居たのかも知れない。
しかしながら武術の発祥は陰陽修験道からであるから、「大伴氏から発生した」とされる甲賀郷士忍術者群や秦氏の流れである服部氏と川勝氏も修験武術の習得を通して両者に接点は在った筈である。
思い付くまま忍者物語・第二章(陰陽寮/呪術と剣術・忍術の分離)(六)へ続く
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