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謎の小説家・未来狂冗談(ミラクルジョウダン)が、思い付くままに物語を綴(つづ)ります。
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思い付くまま忍者物語・第二章(一)(陰陽寮/呪術と剣術・忍術の分離)

大王(おおきみ/天皇)の御世に初めて役小角(えんのおずぬ)に拠って組織された「陰陽修験道組織」は当初秘密警察の色合いが濃いものだったが、大海人皇子(おおあまのみこ・天武天皇)が始めた壮大な隠蔽創作ドラマ(古事記・日本書紀の編纂)を、偉大なる侵略大王・桓武天皇(第五十代)が受け継いで古事記・日本書紀の編纂の完成を急がせ、「陰陽寮」を設置、皇統の正統性を確立する為に力を入れた。
最澄が入唐求法(にっとうぐほう)の還学生(げんがくしょう・短期留学生)の折、唐(中国)から持ち帰った物の中に、青銅で作られた年代物の六輪の錫杖(しゃくじょう)があった。かれは、見るからに風格のあるその錫杖(しゃくじょう)を「統治者の持ち物に相応しい」と、桓武帝に献上する。
その錫杖(しゃくじょう)を、葛城氏族系賀茂家の、役(賀茂)小角(えんの・かも・おずぬ)から下る事百年余り、小角の継承者である賀茂家に、桓武帝は自らの統治の代行者の証として与え、陰陽寮の「影の実行組織」を再編成する。
以後六輪の錫杖(しゃくじょう)は修験山伏の象徴的必需具となったのである。
八世紀(平安初期)の始め、律令に基づく八つの省からなる中央官庁のうち 天皇と直結する行政の中枢である「中務省」に、陰陽寮は設置された。
この陰陽寮が属している中務省は 天皇とその政に関する仕事を受け持つところで、言わば天皇直属の機関である。当然ながら、それに付する「陰陽寮」も例外ではない。
陰陽寮は配下に陰陽道、天文道、暦道を置き、それぞれに吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせた。また、令では僧侶が天文や災異瑞祥を説く事を禁じ、陰陽師の国家管理への独占が謀られた。
つまり僧侶が各自の解釈で説く事の混乱を避け、恐れに対する対策の呪術を陰陽師に一本化したのだ。
当然、当時の国家プロジエクト的建造物の設計や財政出費などの「有無を言わせない裏付け」として、吉凶の御託宣は利用された。
当初利用すべきものだった「陰陽寮」は、時を経るごとに次第に神格化が進み、朝廷は彼らの御託宣を頼る様になって行く。
平安時代以降は、律令制の弛緩と藤原氏の台頭に連れて、宮廷政治の形式化が進んで、貴族達の占術依存化が流行する。
宮廷社会で高まりつつあった怨霊に対する御霊信仰などに対し、陰陽道は占術と呪術をもって災異を回避する方法を示し、天皇や公家の私的生活に影響を与える迷信となった。
これに伴って陰陽道は宮廷社会から日本社会全体へと広がりつつ一般化し、法師や陰陽師などの手を通じて民間へと浸透して、日本独自の展開を強めて行った。
思い付くまま忍者物語・第二章(陰陽寮/呪術と剣術・忍術の分離)(二)へ続く

作者の公式HP(こうしきホームページ)へは、「 未来狂冗談の部屋 」で検索して下さい。

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